1923年式フォード・モデルTラナバウト
フォード・モデルTラナバウト。"Ford"ロゴ付き真鍮製ラジエーターやアセチレン灯で1911年以前の最初期形と判断できる
1927年式フォード・モデルTツーリング。最末期型でメッキグリル、カラーボディ仕様
1915年式フォード・モデルT。元はラナバウトと思われるがボディストリップや全塗装などモディファイが著しい。奥はフォード・モデルA。蔵・福山自動車時計博物館フォード・モデルT(Ford Model T)は、アメリカ合衆国のフォード・モーター社が開発・製造した自動車である。
アメリカ本国ではティン・リジー[1]などの通称があるが、日本ではT型フォードの通称で広く知られている。
1908年に発売され、以後1927年まで基本的なモデルチェンジのないまま、1,500万7,033台が生産された[2]。4輪自動車でこれを凌いだのは、唯一2,100万台以上を生産されたフォルクスワーゲン・タイプ1[3]が存在するのみである。その廉価さから、アメリカをはじめとする世界各国に広く普及した。
基本構造自体、大衆車として十分な実用性を備えた完成度の高い自動車であり、更にはベルトコンベアによる流れ作業方式をはじめ、近代化されたマス・プロダクション手法を生産の全面に適用して製造された史上最初の自動車という点でも極めて重要である。
自動車技術はもとより、労働、経済、文化、政治などの各方面に計り知れない影響を及ぼし、誇張ではなく「世界史を変えた自動車」と言える。
モデルT以前
1896年に、自力で最初のガソリン自動車を開発したヘンリー・フォードは、1899年に新たに設立されたデトロイト・オートモビル社の主任設計者に就任するも、出資者である重役陣との対立で1902年に退社した。その後任には精密加工の権威であるヘンリー・M・リーランドが就任し、社名をキャディラックと変更している。
ヘンリー・フォードは1903年に自ら社長を務める新自動車会社フォード・モーター社を設立、デトロイトに最初の工場であるピケット工場を開設した。
その初期には、車体中央部床下に2気筒エンジンを搭載してチェーンで後輪を駆動する「バギー」と呼ばれる種類の小型車を生産していた。当時のアメリカの道路は悪路が多く、ヨーロッパ車に比べて洗練されていない形態の「バギー」型車の方が、かえって実情に即していたからである。1903年の「モデルA」、1904年の「モデルC」、1905年の「モデルF」が「バギー」にあたる。
しかし、程なく本格的な自動車が求められるようになったことから、1905年の「モデルB」では、フォードの量産車としては初めて直列4気筒エンジンをフロントに搭載し、プロペラシャフトで後輪を駆動するという常道的なレイアウトに移行した。1906年には出資者であるアレグザンダー・マルコムソンらの意向で、大型の6気筒40HP高級車「モデルK」も開発したものの、生産の主流とはならなかった。フォードの主力はあくまで小型大衆車であった。
モデルNの成功
1906年末には「バギー」モデルFに代わる本格的な4気筒の小型車「モデルN」を発売した。2気筒12HPのモデルFが1,000ドルであったのに対し、4気筒17HPのモデルNは、量産段階におけるコストダウンが図られ、半値の500ドルで販売された。まもなく派生型として「モデルR」「モデルS」も開発されている。
モデルNはごく廉価で性能が良かったため売れ行きが良く、その成功は予想以上であった。このため部分的な流れ作業方式の導入が図られ、工場の拡張も進められたが、それでも生産が需要に追いつかなかったのである。
当初から量産を考慮して開発されたモデルNシリーズであったが、更なる需要に応じるには既存の体制では限界があり、フォードは生産性の根本的な向上を図ることを迫られた。そこで、モデルNの設計から多くを参考にしつつも、全体を一新して性能を向上させ、なおかつより大量生産に適合した新型車の開発を1907年初めから開始した。これがのちのモデルTである。