2009年8月18日
有珠山、江戸時代の噴火
7000~8000年前の山体崩壊後は長く活動を休止した有珠山であったが、1663年(寛文3年)旧暦7月14日に山頂噴火した。翌日には山麓の家屋を焼き住民5人が死亡したとの記録がある。活動は7月末まで続いた。この時の噴出物で山頂南側開口部が再び閉塞され、山頂火口は現在のような臼状の地形となった。
次の活動は1769年(明和6年)12月で、南麓の集落が全焼した。山頂陥没部に現在の小有珠にあたる溶岩ドームが形成されたのは、この明和噴火か、その前の寛文噴火の時と考えられる。
最も大きな被害をもたらした噴火は1822年(文政5年)旧暦1月19日に始まった噴火で、2月1日には山の南側を中心に火砕流が流下し、火砕サージも発生した。これにより南西麓のアブタコタン(現在の洞爺湖町入江)が壊滅し、記録によって異なるものの50名以上の住民が死亡したとされる。また、蝦夷地随一の馬産牧場であった虻田・有珠牧場も多くの馬を失う被害を受けた。今日ではオガリ山と呼ばれている潜在ドームは、この噴火で形成された。虻田のアイヌ民族の昔話に、この文政噴火を題材としたものがある。噴火の時村民はみな他所に避難したが、村長だけは祭壇の前で祈り続けていた。やがて噴火が収まり、避難していた者がコタンにもどってきて見ると、村長がそのままの姿で祭壇の前に座っていた。驚いた村人が村長の肩に手をかけると、そのまま崩れて無くなってしまった。祈る姿のまま、焼かれて灰になっていた・・・というものである。
1853年(嘉永6年)の噴火も大規模な火砕流を伴うものだったが、当時集落のなかった洞爺湖方向への流下だったため、大きな被害はもたらさなかった。この噴火は27日に終息したが、翌日から山頂に溶岩ドームが成長しはじめた。これが大有珠である。
江戸時代の噴火はいずれも山頂からのもので、多量の噴出物を一気に放出する、いわゆるプリニー式噴火であった。また、いずれも火砕流と火砕サージの発生が見られ、被害の多くは火砕サージの熱風による家屋の焼失であった。
1910年噴火
1910年(明治43年)7月25日、北西麓の金比羅山で始まった噴火は、まもなく北東麓の東丸山にかけての地域で次々に火口が開き、その合計は45個に及んだ。マグマが洞爺湖付近の地下水と遭遇して水蒸気爆発を起こしたものであった。一部の火口からは熱泥流が発生し、これに巻き込まれた1人が死亡。噴火は8月5日まで続いた。なお、1903年5~6月の鳴動は、前兆現象と考えられる。
北麓では地殻変動が起こり、最大約150m隆起して新たな山を形成した。この山は明治新山、あるいは明治43年にちなんで四十三山(よそみやま)と呼ばれる。
この噴火活動により、火口に近い洞爺湖岸では温泉が湧出するようになった。これが洞爺湖温泉の始まりである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
1910年噴火が洞爺湖温泉の始まりだそうです。
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